- 2024.12.24
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学長室から――神学と召命
数学者の西成活裕(にしなり・かつひろ)という人が、あるところで「思考体力」ということを言っています。これは、どうやら「よく考える力」とでも言い換えられそうなものなのですが、それには六つの面があると西成氏は言い、その一番目に「自己駆動力」ということを挙げています。
西成氏によれば、この「自己駆動力」こそが「思考のエンジン」なのだそうです。それは「『自分ごと』である」ということで、この「自己駆動力」によって知りたいという思いは支えられているのです。整理し直せば、「自分ごと」として知りたいという思いが、考えること・学ぶことを支えるということになるのでしょう。
西成氏は特に数学のことを踏まえて、この「自己駆動力」のことを語っているのですが、それは神学にも当て嵌まるように思われます。いや、あらゆる学問に勝ってそうであると言ってもよいでしょう。というのは、神学は信仰と結びついており、信仰は自分のあり方・生き方そのものと切り離せないのですから、神学は「自分ごと」でなければ、そもそも学びようがないのです。
しかしさらに、神学が教会に仕える学問である以上は、教会に仕えるように召された者にとって、神学は「しないではいられない学問」であると言えるでしょう。自分に深くかかわる学問として、さらには、自分の召命に深く関わる学問として、神学の営みには「自己駆動力」が欠かせません。いや、そのとき、その「駆動力」は、もはや「自己」、つまり、自分から出ているものではなく、聖霊によると言わなければならないでしょう。私たちの神学の営みは、聖霊の導きなしにはあり得ないのです。(神代)
(〈学長室から〉、次回は1月10日頃の掲載を予定しています。)