2025年度入試情報

伝道者の声

星野 江理香

不完全な人間の不完全な確信よりも

めじろ台教会 牧師
星野 江理香

「自分を信じろ!」とはよく聞く言葉。でも、その度に私は「罪深く頼りないのが人間、その上何の取り柄もない自分の何を信じるというの?」と思っていた。だから、「召命を与えられた」と感じた時もまるで確信を持つことができなかった。自身がなかった。何かの間違いだ、そう決め込んで誰にも言わなかった。それほど自分への不信感が強かった。

ところが、翌主日の礼拝後、当時の教会の伝道師が、私の顔をしげしげ眺めながらこう仰った。「あなた、召命を受けられたのではないですか……?」ああ、あの時のショックは今も忘れられない。自分の頭が胴体からフっ飛んで礼拝堂の天井にぶつかってまた落下してきたかと思うほど驚いた。これまでの人生、あんなに驚いたことは一度もない。十数年後、癌がみつかった時も驚いたが、この時ほどではなかった。「何故わかるのです?」と尋ねると、伝道師は、自分もそうだったからと答えて、私を主任牧師との面談に導いてくださった。しかし、私が尊敬してやまない当時の教会の主任牧師も、さすがに私の頑なな自己不信には手を焼かれたことと思う。

人前に出ることが大嫌いな自分が牧師になれるわけがない。大学卒業後何年も経っているのに今更勉強なんて無理。……いったい幾つ応答しない理由、召命を否定する理由を述べたことか。ずいぶん迷惑をおかけした。しかし、知り得たことは大きかった。献身は、常に召命を問われ続ける、その問いと答えに向かって進みゆくことにほかならない。それは誰の場合でも。

だから、今ここに不完全な自分の不完全な確信に悩んでいる人がいるなら、全き御方の御憐れみに信頼して、まず一歩を踏み出すことを勧めたい。祈りつつ牧師に相談し、長老・役員会の議決をあおぎ、その推薦を得て東神大を受験する。そして一歩また一歩、与えられた召命の確からしさを深めていってもらいたい。

東神大に編入した時神学書をまるで読めなかった私は、4年後、K・バルトで修士論文を書いた。東神大には育てる力に恵まれた教授陣が揃っている。奨学金制度も充実している。神学のクラスは想像以上に楽しい、美しい。真剣に求めるなら、必ず答えが与えられる。