伝道者の声
「支援されながら」
飯田 仰 助教
修士論文に取り組むことは、牧師・教師としての私たちの営みにおいて裨益するところ大であると思います。執筆過程において、焦りや葛藤、悩みといったことと直面します。且つ、他に抱えている授業の課題や教会での奉仕など、複合的な要素が入り交ざる環境の中で自らの神学的課題と探究を進めていくことになります。これは大変貴重な経験です。伝道の働きにおいて大変有益だと思います。
修士論文に纏わる思い出はそれぞれあろうかと思います。私は、修士論文締切間際の九月に教育実習が重なるという大きなチャレンジをいただきました。間に合うのかどうか不安を覚えつつも、最終校正を朝と夕方のラッシュアワーの電車の中で繰り返し行うことになりました。そしてなんと、その様子を教育実習先の生徒に目撃され、何をやっていたのかと聞かれるはめになりました。大荷物を抱えながら何枚もの紙と赤ペンを手に、汗だくになりながら、満員電車の中のちょっとしたスペースを探し当てて修正作業に没頭するという、今となっては大変懐かしい思い出です。ただ、当時は絶体絶命的な心境でした。
このような時に大変重要であったのが、同級生と指導教官の先生たち、そして家族の存在です。森本あんり先生(東京女子大学長・国際基督教大学名誉教授)が岩波書店発行の雑誌『世界』の連載(「ボナエ・リテラエ」)で以下のように言及されています。「よく留学を志す学生に念を押すことだが、博士論文の執筆はファミリービジネスである。少なくともわたしは、家族の支えなしにはけっして完遂できなかっただろう。」(『世界』2024年2月号、271頁)。博士論文と修士論文では全く異なるかもしれませんが、修士論文執筆においても言えることは、やはり仲間と指導してくださる先生たち、そして家族の存在は不可欠だということです。一人では成し遂げることはできません。様々な方の支援と支持をいただいてはじめて完成するのだと思います。そしてそれはこれからの伝道活動においても同じことが言えると思います。一人ではなく、研鑽し合える、祈り合い支え合える「仲間」が主なる神さまによって与えられることは大きな恵みとなるはずです。どうかこれからもそのような関係を大切になさってください。
さて、修士論文の思い出と言えば、もう一つ衝撃的なことがあります。それは私の副査をご担当くださった棚村重行先生が開口一番おっしゃった言葉です。今でも印象深く記憶に残っています。主査の先生からの説明が一通り終わった時、棚村先生は笑みを浮かべながらこうおっしゃいました。「あなたの論文は、システマチック・セオロジカル・ヒストリカル・セオロジーですね。」棚村先生はこれを真っ先に、もう言いたくて言いたくてしょうがないという様子でおっしゃいました(失礼な描写かもしれませんが)。笑いながら、でも温かくそのように述べられました。それは先生からの学問的鋭敏な批判だったのですが、笑いながらおっしゃることで、その問題点を深く印象付けられるようにと工夫なさったのだと思います。つまり、私の論文は純粋な意味での歴史神学的論文としては、その方法論に課題があるのではとのご指摘だったのでした。棚村先生のこのご指摘は的確なコメントでありました。その時は衝撃的でしたが、後からじわじわとその意味を実感し理解することになりました。こうした「支援」が生涯、私たちには必要だと思います。
どうぞこれからも相互研鑽の営みを続けながら、神学的探究を深めながら、教会形成の働きと伝道に励んでください。
(『セオロギア第 71号』巻頭言より)