伝道者の声
共に学びませんか
ウェイン・A・ジャンセン 教授
私は東京神学大学の教職員の一人ですが、アメリカ改革派教会の宣教師として日本に派遣されています。私は、大学時代に初めて日本人との出会いが与えられました。又、ルームメートが日本人であったために、一層日本に対する関心が高まりました。大学での専攻は宗教学であったために、日本人の学生から日本の宗教について色々と学べると思ったのですが、実は、その留学生達は日本の宗教についてほとんど分からなかったのでした。その事がきっかけとなり、日本でキリスト者として福音を伝えたいという召命感が与えられました。
私は東神大で臨床牧会教育を担当しております。臨床牧会教育とは、病院で実際に患者さん達や病院のスタッフの人達との触れ合いを通して、牧会を学ぶ事は勿論の事、自らの事をより明確に知り、自らを客観的に見えるようになる事が最も重要な学びになるのです。私の召命は臨床牧会教育を受けた時に明確になったと言えます。以前から人を助けたいという願望がありましたが、「助けるとはどのような事なのか」を深く理解していなかったと言えます。12歳の時に母が癌になり、私自身の神義論がその経験の為に生まれ始めました。もし神様が母を愛していたならば、何故このような事が起こるのか。又、神様がこの私を愛して下さっているのであれば、何故私と私の家族にこのような事が起こるのを許されるのかと疑問を感じ続けて生きてきたのでした。それ以来病気を煩っている人を助けられるのだろうかという事は私の人生のテーマの一つとなりました。
神学生であった頃、人を助ける事を学ぶ為にアメリカの総合病院で臨床牧会教育を受けました。私の担当する病棟は透析科でした。ドナーから腎臓の提供を受けなければ、人工透析を一生続ける事になるのです。ですから、私には彼らの状況を変える事が出来ませんでした。それでは、私に何が出来たかと言いますと、彼らと共にいて、話を聞く事でした。そして、祈る機会も与えられました。それこそが牧会であった事に気づかされました。
臨床牧会教育の夏を終え、神学校に戻った時、神学の学びの重要さがより分かりました。実践的に牧会をせずに神学を学んでも、ピンと来ない事が数多くあります。それ故、私が東京神学大学において求める神学生像とは、勿論神学を懸命に学ぶ事は当然の事ですが、それと共に出席している教会で、神様の民との触れ合いによって牧会を実践的に学び、経験する姿勢です。神様からの召命感が与えられたならば、神の国が到来するように、私達と共に学ぶ事を是非考えて頂けたら嬉しいです。