2025年度入試情報

伝道者の声

長山 道 教授

卒業してびっくり

長山 道 教授

東京神学大学に編入学したとき、わたくし自身も周囲もたいへん驚いたものでした。これ以上驚くようなことは、もう一生ないのではないかと思っていました。ところが、入学後も結構いろいろあったので、これからも驚かされるようなことがいくつも起こるのだろうなと、在学中に薄々気づき始めました。かくて卒業する頃には、神さまはこれからわたくしにどんな驚きを与えてくださるのか、コワくて楽しみでたまらないと思うほど肝が据わってきました。

しかし、それは思いのほか早くやってきました。4月1日月曜日に教会に行ってみると、主任牧師のお嬢さんが「父は今、緊急手術を受けています」と言って、入院中の身の回りのものを用意し、急いで病院に戻って行きました。頭が真っ白になりました。わたくしはまだ仕事の仕方を一つも知らなかったのです。この日は、主任牧師からその説明を受けるために教会に来たのですから。卒業前の総合特別講義での「担任教師だからって式文を買わなくてもいいやなんて思うんじゃないよ」という、大住雄一先生からのアドバイスがこんなに早く的中するとは…(ついでに言うと、だから卒業前に式文を買ったのに、支区から准允記念に式文をいただくことになるとは…)。

わたくしはとりあえず、神学校の先生や出身教会の牧師にアドバイスを求めました。お見舞いと称して術後の主任牧師を訪ね、小一時間も質問攻めにしました。過去のファイルを探し出して、見よう見まねで教会の事務をしました。「初めまして、長山と申します。で、いつもどんなふうになさっているのでしょうか?」と出席者の方々に教わりながら、平日の集会を担当しました。なるべくいつもと同じ感じに仕上がるように気をつけながら、自分のコンピュータで週報を作りました。数週間後の聖餐式のために、おいでいただける正教師を探しました。

さらに悪いことには、次の主日は教会総会でした。臨時長老会が開かれ、総会のもち方について話し合いました。おかげで長老のお顔とお名前がいっぺんに覚えられました。わたくしは准允をまだ受けておらず、総会議長をつとめることができなかったため、一人の長老に議長をお願いしました。その方は真っ青になりました。「台本とか、ないんですか?」とおっしゃるので、当時の東神大の学生総会のマニュアルをもとに、台本を作りました。学生会書記をしていたときのデータが、幸いまだ残っていたのです。礼拝のこと、総会のこと、事務的なこと、幼稚園のこと、諸集会のこと…土曜日まで、電話が鳴りっぱなしでした。

長老会書記の方と最後の打ち合わせの電話を終えたのは、土曜日の夜9時でした。怒濤の1週間でしたが、もう大丈夫。あとは説教準備だけです。——そう、わたくしの初説教は、恐ろしいことにそれまで全くの手つかずだったのです。しかし、わたくしは幸せでした。説教は、この1週間で唯一、これまでに経験したことのある務めでした。日曜の朝まで(眠らなければ)、時間はたっぷり。復活後のイエスがトマスに現れる箇所(ヨハネ20:24-29)で、「信じる者になりなさい」という説教題がつけられていました。「先生はどんな説教をされるおつもりだったのだろう」と考えながら、この1週間に知り合った教会員の方々のお顔を思い浮かべながら、朦朧とした頭で原稿を書きました。「あなたがたに平和があるように」という復活の主イエスの御言葉を読んで、わたくしは本当に平安な思いになりました。

日曜の礼拝と総会を終えると、たくさんの教会員の方が、「赴任早々大変でしたね。でも、これでもう何があっても大丈夫ですね」と声をかけてくださいました。ほっとしました。わたくしたちは皆、わたくしがその教会で奉仕させていただく中で、これが最も難しい出来事になるのだろうと思い込んでいました。まさか、これがまだまだ序の口だとは、このときはまだ知る由もありませんでした。

何をするにも、十分に備えをして臨むことができたことは一度もなかったように思います。神さまはいろいろな驚きを与えてくださいました。嬉しい驚きもあれば、とんでもない驚きもありました。「しかし、召使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです」(ロマ14:4)という言葉がいつの間にか頭の中に住み着いて、何度も立ち上がらせていただきながら、今日までやってきました。これからもそうであるに違いありません。

卒業して遣わされていくみなさん、遣わしてくださり、立ち上がらせてくださる主に信頼して、大胆に福音を宣べ伝えてください。それから、何かあったら、何もなくても、いつでも遠慮なく連絡をください。ためないことも大事です。

(『セオロギアライフ 2013年度卒業記念号』より)